take a joy

 三月上旬だと云ふに、前晩の小指大の雹が降つたとかで、厭な寒い風の吹く日だつた。一高前から例に依つて引返さうとして、ふとTの休みの日なことを思ひ出し、勇氣を出して駒込まで歩いて行つた。Tは二三日前から風邪を引いて休んでゐると云つて、床に就いてゐた。
「君の方へも何とも云つて來ないかい? 僕の方へもあれつきりなんだがね……」と、Tが私が坐るなり云ひ出した。
「いや、僕の方へは何とも云つて來つこないだらう、あゝして歸したんだから。それにしても君の方へ何とも云つて來ないと云ふのは、をかしいね。また人事相談へでも持込むつもりかね。無茶なことを考へ出されちや、弱るからね」
「人事相談とはしかし考へたもんだね。が二度とはもうあんなことしやしないだらう。だいぶ悄げてゐたやうだつたぢやないか」
「しかし田舍の人たちのやることはわからないからな。どつちみちあれが歸ると一等いゝんだがね。無理に追出すと云ふ譯にも行かず、實際今度は僕も弱つたよ。仕事は手に附かず、下宿の方は溜るし、いつそどこかへ遁走でもしようかと考へてゐる」

 彼のいわゆる作家風々主義というのは、つまり作家なんてものは、どこまでも風々来々的の性質のもので、すべての世間的な名利とか名声とかいうものから超越していなければならぬという意味なのである。時流を超越しなければならぬというのである。こういう点では彼は平常からかなり細心な注意を払っていた。たとえば、卑近な例を挙げてみれば、彼は米琉の新しい揃いの着物を着ていても、帽子はというと何年か前の古物を被って、平然として、いわゆる作家風々として歩き廻っているといった次第なのである。
「……それでは君、僕はそういうわけだから、明日の晩は失敬するからね」原口はこう笹川に挨拶して、出て行った。
「原口君は原口君であんなことを言ってくるし、君は君でそんなだし、いったい君は僕のことをどんな風に考えているのかね? 温情家とか慈善家とでも思っているのかね? とんでもない!」原口の出て行った後で、笹川は不機嫌を曝けだした、罵るような調子で私に向ってきた。
 私は恐縮してしまった。

「また今度も都合で少し遅くなるかも知れないよ。どこかへ行つて書いて来るつもりだから……」と、朝由井ヶ浜の小学校へ出て行く伜のFに声をかけたが、「いゝよ」とFは例の簡単な調子で答へた。
 遠い郷里から私につれられて来て建長寺内のS院の陰気な室で二人で暮すことになつてから三月程の間に、斯うした目には度々会はされてゐるので、Fも此頃ではだいぶ慣れて来た様子であつた。私が出先きで苦労にしてゐるほどには気にしてゐない風である。近くの仕出し屋から運んで来るご飯を喰べ、弁当を持つて出かけて、帰つて来ると晩には仕出し屋の二十二になる娘が泊りに来て何かと世話をしてゐて呉れてるのであつた。
 二月一日の午後であつた。鎌倉から汽車に乗り、新橋で下りて、銀座裏のある雑誌社で前の晩徹夜をして書きなぐつた八枚と云ふ粗末な原稿を金に代へ、電車で飯田橋の運送店に勤めてゐる弟を訪ねると丁度退ける時分だつたので、外へ出て早稲田までぶら/\話しながら歩るくことにした。神楽坂で原稿紙やインキを買つた。
「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と、私は弟に云つた。